【 引退会見 ー前に進むためにー 】

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Nice!

引退会見での高橋選手は、涙はなく晴れやかな笑顔でした。

アスリートのファンである以上、いつかは引退という時が訪れることは

覚悟していたし、ソチ五輪が集大成だと明言しての昨シーズンでした。

高橋選手の競技人生の中で、私がファンとして見させてもらったのは

バンクーバーからの 2010-2011 、2011-2012 、2012-2013 、2013-2014の4シーズンでした。

その短い中でもアップダウンがあり、良いことも辛いことも見守ってきました。

ソチ五輪の後の休養宣言の後、高橋選手が幸せになるように

これからの人生を選んでくれたら それでいいと思ってきました。

でも、いざ引退という二文字を聞いてしまうと

もうフィギュアスケートの試合で、高橋選手の演技を見ることはないんだという

喪失感をどうすることも出来ませんでした。

自分は、競技のフィギュアスケートが好きなんだ。

そして、その競技で演技をする高橋選手が好きなんだと実感しました。

「引退してから競技者に一度戻れる」

「僕自身、競技者として未練がないわけではない」という言葉から

彼の競技に対しての想いを想像すると

現役を続けたいという気持ちが残っているけれど

しかし、今このまま続けることは出来ないという葛藤がみえて

この競技への気持ちが残ったままでは、次に進めないということなのか

だからこその引退だったのか と思います。

私は、競技の中で

あのヒリヒリするような緊張感の中、スポーツなのにスポーツじゃないような

不思議な感覚になる高橋選手の演技が好きでした。

高橋選手がフィギュアスケートという競技の中に創り出す空間が好きでした。

表現力と言ってしまえば、一言で終わってしまうけれど その一言では表し切れないもの

音楽の音 一つ一つを拾い、いとも簡単にターンやステップをしていく技術と

しっかりとした技術があるからこその身体の絶妙なバランスが

美しい指先や腕や上半身の表現につながり完成されていくプログラム。

彼のスケートにおける音楽的センスは、持って生まれたものとも言われていますが

ただ天賦の才能だけではなく、たえまない努力からも生まれたものだと思います。

その彼の演技が、試合の中で磨かれ一つの作品のようになっていく様は

とても見応えがありました。

フィギュアスケートは、スポーツであるとともに芸術でもあると思うようになったのは

高橋選手の演技を見てからです。

高橋選手が引退した後も、フィギュアスケートは見続けていこうと思います。。

スポーツであってスポーツでないような不思議な感覚を探して見ていこうと思います。

スポーツ観戦は好きだけれど、こんな感覚を楽しめるのはフィギュアスケートだけです。

高橋選手には、フィギュアスケートの楽しさを教えてもらいました。

ありがとうございました。

たくさんの素晴らしい演技をありがとうございました。

長い間、お疲れ様でした。

これで、やっと大きな荷物を下ろすことが出来たのではないかと思います。

高橋選手の新しい未来に たくさんの幸せが待っていますように 祈っています。

投稿者: ゆっくりいこう 投稿日時: 2014-10-21 (火) 10:56