トイレットペーパーの大量流しこだわり
の記事が6月23日。
一か月半か。
そもそもたいして用も足さないのに、一日に何度もトイレに行きます。
20回は行っています。帰ってきて、すぐまた行くのです。
せめてペーパーにはこだわらないでほしい。
あの後、まずはストックのロールの数を少なくして一個だけ
戸棚に入れました。
すべて隠してしまうと余計にこだわる可能性があったので。
それでも一気にちぎって流すので、トングと洗面器の出番は終わりません。
少ない巻きのトイレットペーパーが売っていないものかとふと思ったものの、
そんなものは見たことがない・・・
そこで、使い終わった芯にペーパーを巻いたものを
ホルダーとストックにおくことにしました。
ロールを使い切る感覚にこだわっているので、
少ない量でも使い切る感を味わえればいいのではないかと。
しょっちゅうトイレに駆け込むので、そのお手製のロールが何個も必要でした。
来る日も来る日も、ツヨの使い切った大量の芯に私がこっそりペーパーを巻く作業が続きます。
最初はうまく巻けなかったその作業も、日に日に早くなるもので、
これが早くなっても誰もほめてくれないなぁと思いつつ、
早いな、でも雑だな、ま、いいか、と心の中で独りごとを言っておりました。
そんな不細工なペーパーでもよしとして律儀に何個も使い切ってくれたツヨ。
自閉症の子とどうしてうまく暮らせないのか。
その原因の一つは子どもを怒らせてしまうから。
子どもが怒ると親もイライラする。
どうして自閉症なんだ!自閉症なんてもう嫌だ!と思う。
すると子供もまたつらい気持ちになる。
どうしてお父さん、お母さんは分かってくれないの?
ぼくの私の気持ちはこうなのに。
甘やかすのではなくて、
子どもが怒らないように、先手先手に出る。
こういったらこうなるだろうな、と想像を働かせること。
幼い時からの過不足ない視覚支援は必須です。
出かける時に行先を知らせたり、いつも通りの荷物を用意しておく。
急がせないように、早めに出かけられるように10分早く起きる。
夕方は子どもは疲れてしまうので、無理をさせない。
発達年齢に見合った外出をする。
もし最低限適切にふるまえないのなら、公共の乗り物に乗るには徐々に訓練をする。
伝えられない声を想像する。
『これからどこへいくの?』
『どうしていそがなくちゃいけないの?』
『どうして寄り道するの?僕は予定が済んだら家に帰りたいのに。』
『この間は、これはいいって言ったのに、どうして今日はダメなの?』
『家の中に触っていいものと、触ってはいけないものがあるの?わからないよ。』
『夕方になると、おなかはすいたし、眠いよ。あれやれこれやれって言わないで。』
『今はパソコンにお母さんを取られたくないよ。後にしてほしいな。』
わかったひと~?
と聞くと、
とにかく
『はい!』
と手をあげてしまう
ツヨの素直さに心が洗われる。
そういえばコトがツヨのことを「純粋」と言っていたっけ。
「私は少し汚れちゃったけれどね。」と。
社会の人の中でもまれていくということは
良くも悪くもいろいろなことが分かっていくということ。
コトは中学校でまさかの剣道部に入り、暑い中、毎日厳しい練習に耐えています。
昨日、始めて部内の練習試合を見にいきました。
家ではエアコンの効いた部屋でのんびりしているのに、
暑い体育館で何時間も重い剣道着をつけていられるのをほめたら、
「人は耐えなくてはいけないところでは耐えられるんだよ。」
と。
試合は一回戦で負けてしまった。
どうしても、人を強く叩けない、らしい。
剣道で勝つには致命的なタイプ。
どうして剣道部に入ったの?と話をしていたら、
理由の一つにこんなものが。
将来、親が老いたり死んでしまったら、施設に入れるにせよ多少はツヨの面倒をみることになる。
その時に体力的にも精神的にも剣道で鍛えることは役に立つだろうと。
親の弱ったときの話なので遠慮がちに、でも明るく言っていました。
12歳なりにいろいろ考えています。
施設に毎月払うお金は私が払うのか
歯磨きはやってくれるのか
など、気になっていたようで確認してきました。
鋭いなぁ・・・
何よりも好き。最近は頭でシュミレーションしたシュートを練習で試したり、身体だけでなく、かなり頭を使ってる感じです。
随分静かだと思ってたら、集中して、クワガタ辞典書き写しクワガタに惚れています
将来は、クワガタ売買して儲ける妄想も
最近はこの話を1日中している感じです(苦笑)
飼育中のヒラタクワガタ、エサ台を掛け布団のようにして寝てるのは、私も面白いと思いますが
福祉の本の感想文、souは作文に自信があるので、字は雑ですが(誤字も発見)あっという間に書き上げ、内容も何だか大人な感じで驚かされます。
小さい頃は偏食がひどく、白米かパンかビスケットばかり食べていました。
小4くらいに学校で偏食指導をしてくれて、ほんのひとかけ、2ミリとか、
おかずを食べたら次は好きなものを食べていいというやりかたで、
少しずつ、おかずのおいしさに気付き、受け入れるようになりました。
食わず嫌いのものは、先生がツヨを肩を組むようにして抱えて、
外側からアゴを押さえてあーんして食べさせました。
そのやり方は子どもが偏食から脱する時期がきているかどうかの
頃合いをよく見計らってやるとのことで、
ツヨはおかずに興味を示していたから取られた方法だったと思います。
食べてみたいけれど、こわい。
先生が押さえてくれたら食べられるかも、
とツヨ自身が感じていたのではないでしょうか。
新しい食べ物にチャレンジするとき、
ツヨはまた顔を押さえてほしいと、
ジェスチャーで先生に伝えたそうです。
こう、手を上にあげて、反対側の耳を触るようなポーズ。
それは押さえられた感触への一種のこだわりだったのかもしれませんが。
こう書くと簡単なようですが、給食での先生とツヨのやりとりは
私の想像を超えて、気の遠くなるような真剣な作業の繰り返しだったのだと思います。
長い期間、一定のルールで対応し続けるわけですから。
その時期は家では好きなものを好きなように食べさせてくださいとも言われました。
食事の時間が嫌いになってしまわないように。