若いころは、いろいろといろんなことに気を遣ったと思う。服装とか化粧とかの見た目じゃーないですよ。人に対してです。じゃー今は?というと、「めんどくさい」と見てみぬふりをしてしまったり、忙しさに紛れてしまったり、本当に疲れていたり・・・昨日の剣道でのこと初めて面や胴の防具をつける練習をさせてもらっていました。 私はいつも終りがけに迎えに行っています。 本当は観ていてあげたいけど 水、金は朝7時から3時まで仕事に行っているため、 やることがたくさんあるのです。(言い訳(~_~;))それで、先生は厳しいほうの先生。片付け方を説明しています。まだちょうちょ結びがうまくできない子ばかりなのでそれは仕方のないこと、「今日は先生が片付けておくからいいです」ということで最後の挨拶をしました。(あれだけの防具先生がすべてチェックするのも大変だな 誰か助手の人が手伝うのかしら?)子供たちが竹刀を片付けているのを手伝ってふと気がつくと他のお母さんが3人ほど先生にしまい方の説明をうけているのです。(えー?そういうことなの〜)道場に下りて正座をして、見よう見まねに縛りました。2つです。2人分おいてありました(>_<)先生は「まー、3回くらいやれば覚えるでしょう」(あーそうなのね、私がこれから片付けるということね)と思いました。私は体育会系ではないけれど、割と気が利くほうだったと思います。周りの人に気を遣うほうだったと思うのです。でも、本来はそういう性格じゃなかったのかもっとよく体や気が動く人が私の周りには多くいたりはたまたまったく気付かない子ばかりだったりで(まーいいか)という感情や(気付いたらまけ)という感情さえも持ったことがあるくらい、いろんなことに無頓着になってしまったような気がします。ふと振り返ると家の中では自分が気付いたことを気づいた時にやるのだけど、やり切れていないことも多くあって、まーいいやまーいいやと過ごしていることがたくさんあります。そうしないとできなかったのだから仕方ないのだけどたとえば子ども会の役員の仕事でも、(言われたことだけやっておけばいい)とか保育園の役員をやっていたときも(役員をお願いされて受けているのだから、保育園への義理は返した)などとなんだかそこに自分の思いはあまりなかったように思ったのです。へたをしたらやってやってる!というくらいタカピーな感情があったのじゃないかと振り返りました。昨日の剣道の防具を片付けに行ったお母さんたちは既にお兄ちゃんたちが剣道を習っています。いろんな流れをよく理解していると思います。それでも、昔の私なら何も考えずさっさと降りて防具を片付けるのを手伝ったのじゃないかと思うのだけど。。剣道を続けるにはクラブチームに入らなければならず親はそのお世話係として役が回ってくると聞いていました。今からそれを心配していた自分がちょっと情けないと思いました。実際時間がない。要領も悪いしいっぱいいっぱいの毎日。でも、私は昨日貴重な気付きをさせてもらいました。あたり前の気付きくらいできないとしたら、私って恥ずかしいなと思ったのです。先生に片づけをさせることに疑問を持たなかったり大変そうだなと思うのに手伝わなかったり気付いたら負けということはやっぱりないな。気付けることって大事なことだと思いました。礼に始まり礼に終る。の教えから始まり、私自身が学ばせてもらうことが多々あることに気付いて感謝したいと思います。