私が以前、セールスレディをしていたとき、仕事はそれこそ数字数字に追われる毎日で、やりがいはあったけれど、とても厳しい世界でした。それでも、同じ職場の仲間は、皆年齢も近かったし、仕事のことだけじゃなく、プライベートなことも何でも話せて、ほんとに、仲間がいたからこそ、4年も続けられたんだと思います。同じチームにいたけいちゃんも、そんな仲間の一人。背が高くて、しっかり者で、頼りになって。こんな私でも、「先輩、先輩」と呼んでくれて・・・私と同じくらいのときに、退職し、彼女も私も結婚しました。お互い、男の子が生まれて、私は東京に引越し、彼女は福岡の実家のそばに家を買い、メールや年賀状のやりとりを、ずっと続けていました。ちょうど、2年ちょっと前、私がkenを妊娠したときに、「私もそろそろ二人目が欲しい、つわりが始まるときついだろうから、一人目の子を週3回くらい託児に通わせている、でも、一向につわりなど始まる気配もなく、健康そのものです、コウノトリさんが来るまで、少しのんびりします」と、メールをくれた彼女。それに対して私が送った返事、今度福岡に帰るときは、みんなで子連れで会いたいね、と書いたそのメールの返事が、2ヵ月後くらいに来たのですが、なんか、ちょっと、おかしかったのです。私のメールを、ただそのまま返信しただけのような・・・どうしたのかな、と気になりつつも、そのまま、私は出産、子供の入院、それから日々の育児に追われ、バタバタと、福岡に引越しが決まり、戻ったら戻ったで、マイホームの購入などで、全然連絡もできず・・・福岡に戻ってもうすぐ1年、やっと、生活も落ち着き、私の実家のすぐそばに住む彼女のマイホームに、遊びにいかなきゃと思っていた、ちょうどそんな時でした。彼女が、病気で亡くなったと、連絡を受けました・・・そして、昨日が葬儀でした。若すぎる彼女の死に、涙が止まりませんでした。少し痩せた彼女の顔を見て、お疲れ様と声をかけるだけで、精一杯でした・・・もっともっと、いろいろ、話したかったのに。彼女の一人息子は、まだ、幼稚園。母親のの死を、理解するのも難しいくらい幼い。棺があいたとき、一番にかけよって、ママを見て、にっこり笑っていました。きっと、パパと一生懸命書いたであろう、ママへのお手紙を、棺に入れていました。彼女は、闘病生活の中、一度も弱音を吐かず、髪の毛が抜けてしまっても、足が動かなくなってしまっても、息子のために、元気になろうと、がんばっていたそうです。なのに、その願いも叶わず、帰らぬ人となってしまった。どれだけ辛く、悲しく、無念だったことだろうと思います。新しいマイホームで、もう一人赤ちゃんを迎えて、きっと楽しい夢がいっぱいだったはずの未来を、こんな形で失ってしまって・・・2年間の闘病だったということなので、きっと、あの、ちょっと変だったメールを受け取った頃、病気がわかったのだと思います。もしかしたら、何か、私に伝えようとして、言葉にならなかったのかもしれません。今となっては、もう、聞けないけれど・・・彼女の死に接して、私が今思い描いている未来、子供達の成長した姿や、念願のマイホーム、そんなものは決して、約束されたものではないのだと、だからこそ、夢を見ることも大事だけれど、今この一日一日を、しっかり生きることも大事なんだと、改めて思い知らされました。けいちゃん、いつかまたあなたに会えたら、あの頃みたいに、いっぱいお話しようね。ご冥福を心よりお祈りします。